性善説と性悪説はどちらが正解なの?
という疑問を持っている方に向けて、この記事では以下のことについてまとめています。
- 性善説と性悪説について
- 性善説と性悪説の違い
- 性善説と性悪説はどちらが正しいのか
それでは見ていきましょう。
もくじ
性善説とは
性善説は、善という漢字があるように、「人間は本来、生まれたときから善(善人)である」とする考え方で、戦国時代に、中国の儒教学者の孟子(もうし)によって唱えられました。
人間が生まれた時から持つ本性は、善だから、正しい努力をすれば、誰でも素晴らしい人格者になれる可能性があると考えるのが性善説です。
だからと言って、人間全員が絶対に善という訳ではなく、善の心を忘れると悪に転じるとも言われています。
そのため、善であり続けられるように、日々努力していこうというのが性善説の教えとなります。
ビジネスシーンでの性善説
ビジネスシーンでの性善説は、相手を善い人だと信頼して接することを意味します。
性善説では、「人間は努力し続けたら善人になれる」としているだけなので、全員が善人とは限りませんが、ビジネスシーンではそのように使われるようです。
性悪説とは
性悪説は、悪という漢字があるように、「人間は本来、生まれたときから悪(悪人)である」とする考え方で、戦国時代に、中国の儒教学者の荀子(じゅんし)によって唱えられました。
人間が生まれた時から持つ本性は、悪だから、努力をして、悪を断ち切ろうと考えるのが性悪説です。
キリスト教では、人間は罪を背負って生まれてくるという考え方があることから、この性悪説がベースとなっていると考えられます。
そのため、海外では性悪説が主流となっているようです。
ビジネスシーンでの性悪説
ビジネスシーンでの性悪説は、相手は裏切るかもしれないと考え、警戒して行動をすることを意味します。
性悪説では、「人間は努力したら悪を断ち切れる」としているので、全員が悪人とは限りませんが、ビジネスシーンではそのように使われるようです。
性善説と性悪説はどちらが正しいの?
どちらが正しいかの私なりの見解が以下のものです。
どちらが正しいとは言えないが、性悪説を信じていた方が現代では生きやすい。
このように考えた理由は、性善説は、人間の根底には善の心があるというような、相手に対する期待があるので、それを裏切られた時にしんどいのではないかと思うからです。
性善説だと、相手を完全な悪だということは難しいため、通り魔殺人が起きたり、故意的に車で轢かれたりをされても、自分にも改善の余地は無かったのかと自分を責めることが多くなりしんどいような印象があります。
そのため、人間の根底には悪があると考える性悪説の方が、現代では生きやすいようにも感じます。
ただ、性善説・性悪説に共通している考えは、努力すれば善人になれるということです。
なので、この努力を怠らないということを持っていればどちらの考え方でも問題ないと思います。
どちらかしか考えを持てないのであれば、性悪説を推しますが、そんな訳ではないので、場面に合わせて使えるように、どちらの考えも合わせ持っておくことが現代においては正解な気がします。
まとめ
今回は性善説・性悪説について見てきました。
性善説も性悪説も、元は孔子の儒家思想からきているものなのに、まるで反対のものの見方というのは非常に面白いですね。
ただ、どちらの考えも、努力し続けることを説いているということを忘れず、日々努力を重ねていきたいですね。
性善説や性悪説ってどういうもの?